駱芃芃さん
篆刻は、数千年にわたって受け継がれてきた中国の伝統芸術の一つである。書道と彫刻の技法が結び付き、石などの印材に文字を彫り込み、精巧で美しい印章を作る。篆刻は昔から中国人の生活に欠かせないもので、中国の漢字の発展を見続けてきた「生きた化石」だ。
2006年、中国芸術研究院篆刻芸術院が創設され、09年には中国の篆刻は、ユネスコ(国連教育科学文化機関)の「人類の無形文化遺産の代表的リスト」に登録された。こうした画期的な動きの背後には、篆刻芸術のために黙々と努力を続けてきた一人の女性の姿がある――「彫刻刀の女神」といわれる篆刻芸術家の駱芃芃さんだ。22歳で篆刻の世界に入った駱さんは、40年以上にわたりこの芸術に人生をささげてきた。また、その豪放な作風で篆刻の世界における女性の先駆けとなり、篆刻文化の復活と発展に多くの力を注いできた。
导语:篆刻是一项传承数千年的中国传统艺术形式,它结合了书法与镌刻的技法,将平面文字刻在石材等印料上,形成精美的印章。篆刻自古就是中国人生活中不可或缺的一部分,是见证中国汉字发展的活化石。
2006年,中国艺术研究院中国篆刻艺术院成立;2009年,中国篆刻被列入联合国教科文组织人类非物质文化遗产代表作名录。这些具有划时代意义的举措背后,有一位始终为篆刻艺术默默耕耘的女性身影——她就是被称为”神刀女”的篆刻艺术家骆芃芃。骆芃芃从22岁进入篆刻世界以来,将四十多年的人生岁月奉献给这门艺术,以其豪放的治印风格在篆刻艺术的世界里徜徉着,也为抢救和发扬篆刻文化倾注了大量心血。
篆刻芸術の種まいた人
篆刻は殷商時代(紀元前1600~同1046年)に始まったとされる。その社会的・文化的な性質から、政治の世界で重要な役割を果たしてきた。印章は、明・清時代(1368~1912年)から芸術品としての鑑賞と創作が始まった。ここ20年ほどは、篆刻の持つ意味が大きく多様化し、より強く象徴の意義を備えるようになった。その最も代表的なものがシンボルマークだ。中国人に最もよく知られたシンボルマークは、08年に開かれた北京五輪の大会シンボルだ。このマークによって、全世界が篆刻という芸術を知り、その国境を越えた美しさは世界から認められた。
この五輪大会シンボルのデザインチームのリーダーだった郭春寧さんは、中央工芸美術学院で研究していた頃、駱さんの篆刻についての講義を受けた。郭さんは西洋画を専門に学んでいたが、この篆刻に関する講義に強い印象を受けた。
「印章の朱と白地の配置は、実質的には西洋美術のデザイン学です。講義で東西の理念を一緒に結び付けて教えるのは、学生にとっても大変ためになります。今ここで学生の心にまいた中国の印章という種は、いつの日か思いもよらないところで実を結ぶかもしれません」――この駱さんの話は郭さんの心の中で芽を吹いた。そして、北京五輪(08年)の大会シンボルのデザインとして花開き実を結んだのだ。郭さんはそれまでの篆刻に関する知識を思い出し、篆刻の形を使った大会シンボルのデザインを思いついた。こうして全世界の人々の心の中で踊る「京」の印が生まれたのだった。
駱さんはこう自身の体験を話した。「私は青少年の育成をとても重視しています。子どもが知らず知らずに影響されて学ぶ教育――これこそが子どもたちの心に中国の印章の種をまくことです。将来、その子は篆刻家にはならないでしょうが、心にまかれた種はいつか必ず芽を吹き、美しい出会いとなるでしょう」
駱さんが初めて篆刻に触れたのは7歳の頃だった。父親の手ほどきで、初めて自分の印章として「芃子」と彫った。その後、長い間、駱さんが再び篆刻に触れることはなかった。だが、その種は心の中にまかれ、何年もたってから自ずと彫刻刀を手にすることになる。それから40年余りこの道一筋でやってきた。だからこそ、駱さんは青少年への篆刻の普及と教育に全力を注いでいる。現在、教育部と国家語言文字工作委員会の主催によって毎年全国の小中高校生・大学生と教師を対象にした「『中国を刻もう』師弟篆刻大会」が開催され、年々多くの若い人たちを篆刻の世界へといざなっている。駱さんは責任者としてその審査を取りまとめる仕事を担っている。
2014年4月、「第30回日本篆刻展」に参加した中国芸術研究院中国篆刻芸術院代表団と日本篆刻家協会のメンバー
「篆刻は私の命の一部」
篆刻のこととなると、駱さんの話は尽きない。「篆刻は私の命の一部のようなものです」と駱さんは言う。時代の変化という洗礼を受け、駱さんも篆刻の存続は早急に解決しなければならない問題だと見ている。このために駱さんは、篆刻の世界遺産への登録と独立した学科の創設という二つのことを行った。
「篆刻芸術の世界遺産への登録成功は、本質的に篆刻が国際社会で『居場所』を得たということです。そうなれば、いい加減に消し去ることはできないし、しっかり生きていくよう保護される権利が与えられます」。駱さんの積極的な取り組みにより篆刻芸術の世界遺産登録は成功し、篆刻という芸術は世界の舞台に進出した。また国際的により多くの尊重と保護を受け、資金援助と継承の機会を得た。
同様に、駱さんは長年にわたり、独立した篆刻学科の創設に尽くしてきた。「私たちが篆刻を教育システムに取り入れたのは、篆刻を継続的に順調に発展させるためです」。篆刻を一つの独立した学科として確立させてこそ、多くの質の高い後進の人材を育成できるし、長く発展していくための基本的な保障となる。駱さんは篆刻学科の創設を主導し、全国で初めての篆刻芸術専門の大学院生や博士課程の研究生を受け入れ、重点的に育成した。
「以前、篆刻には誤解がありました。それは、印章とは職人が制作するもので、教養がなく、立派なところには出せない――というものでした。元代の文人が印章制作を通し、篆刻を自身の教養を高める趣味として始めたことで、こうした考え方が変わりました」。駱さんは学生募集の基準として、学生の彫刻刀の技巧以外に総合的な素養を大変重視した。例えば外国語や文学概論、芸術概論など幅広い教養分野の教育に大きな力を入れた。駱さんは、多元的な知識体系を持つ人こそが、篆刻芸術を継承するという重要な使命にふさわしいと考えている。
こうして篆刻は駱さんの子どものように「母親」に守られながら力強く生き、健やかに成長している。